寝ようとしてもなかなか眠れない。夜中に何度も目が覚めてしまう。あるいは、朝早く目が覚めてしまう——。そんな「不眠」の症状を経験したことはないでしょうか。
日本人は、世界的に見ても睡眠時間が短い国民とされており、こうした不眠の悩みを抱える人も少なくありません。
実際、厚生労働省が実施した「令和4年(2022年)国民健康・栄養調査」では、成人の約5人に1人(20.6%)が「過去1ヶ月間に睡眠で十分な休養がとれていない」と答えています。このデータからも、多くの人が睡眠に関して何らかの問題を感じていることが分かります。
それでは、こうした睡眠の悩みを感じたとき、多くの人はどのように対処するのでしょうか。
「最近、寝つきが悪いから病院に行こう」と考える人は、あまり多くはないように思われます。
『まあ大丈夫だろう』『そのうち治るだろう』と様子を見るうちに、つい放置してしまう――そんなケースがほとんどではないでしょうか。
そして、症状がなかなか改善しない場合でも、医療機関を受診するより先に、市販の睡眠薬に手を伸ばす人は少なくありません(参考:日本人は睡眠障害を医師に相談しません。では、何に頼っているか知っていますか?)。
けれども、こうした“とりあえず”の市販薬(OTC:Over The Counter薬)の使用は、本当に有効な選択といえるのでしょうか。
多くの市販の「睡眠改善薬」に含まれている主な有効成分は、「塩酸ジフェンヒドラミン」という抗ヒスタミン薬です。これは本来、アレルギー症状を抑えるために使われる成分ですが、副作用として眠気をもたらすことから、睡眠導入を目的に転用されてきました。
しかし、この成分が実際どれほど有効なのかについては、科学的な裏付けが驚くほど乏しいのが現状です。
実際、過去12年間でジフェンヒドラミンに関するランダム化比較試験(RCT)はわずか3件しか実施されておらず、いずれの研究においても明確な睡眠改善効果は確認されませんでした[1]。特に、睡眠の質を客観的に測定するポリソムノグラフィ(PSG)による評価では、薬の使用による有意な改善は見られませんでした。
それだけでなく、翌日まで眠気が残ってしまったり、注意力や判断力が低下したりする副作用が報告されており、日中のパフォーマンスに悪影響を及ぼす可能性があります。また、服用を中止した後にかえって不眠が悪化する「反動性不眠」が見られたケースもあり[2]、軽微とはいえ、プラセボ群よりも副作用による中止例が多かったというデータもあります。
※塩酸ジフェンヒドラミンについてはこちらの記事も参考にご覧ください
★ランダム化比較試験とは
医学的な治療や薬の効果を科学的に検証するための、最も信頼性が高い研究方法のひとつ。
被験者を無作為に「本物の薬を飲むグループ」と「偽薬(プラセボ)を飲むグループ」に分け、結果を比較します。
思い込みや先入観の影響を最小限に抑えて、本当に薬に効果があるのかを判断することができます。
なお、日本では市販薬(OTC薬)として手に入れることは基本的にできませんが、海外では「メラトニン」や「バレリアン」といった成分も、不眠対策として利用されることがあります。これらの成分についても、いくつかの研究が報告されています。
メラトニンは体内時計の調整に関わるホルモンで、服用後すぐに血中濃度が上がり短時間で効果を発揮する「即効型」と、徐々に放出される「持続放出型」の2種類があります。
即効型は寝つきが悪い人に、持続放出型は中途覚醒する人に適していると考えられます。特に持続放出型は、55歳以上の高齢者に対して効果が明確に報告されており、欧州では不眠症治療薬として承認されています。
一方、即効型メラトニンに関しては研究が少なく、効果に関するエビデンスは限定的ですが、メラトニンは副作用が少なく、比較的安全性が高いとされており、他の薬剤よりもリスクが低いと考えられています[3,4,5]。
バレリアンは古くから不眠の緩和に使われてきたハーブですが、研究結果には一貫性がなく、明確な効果は確認されていません[6]。
特に、バレリアン単体やホップとの混合製剤に関する研究では、効果が見られたのはわずか3件程度[1]であり、それぞれの試験で評価指標が異なっていたため、結論としてその効果は弱いと言わざるを得ません。
また、製品ごとの抽出方法や成分構成の違い、被験者の背景の差も、結果に影響していると考えられます。
ただし、副作用についてはプラセボ(偽薬)とほぼ同等とされ、安全性自体は高いと評価されています[7]。
不眠に悩むと、つい手軽に市販薬に頼りたくなるかもしれませんが、安易に使用することは非常に危険です。日本で一般的に販売されている睡眠薬の多くには、ジフェンヒドラミンという成分が含まれていますが、その効果は限られており、不眠の根本的な原因に働きかけるものではありません。
さらに、以下のような副作用が生じるリスクもあります。
精神神経系:めまい、頭痛、日中の眠気、注意力の低下、興奮やけいれん(特に小児)、錯乱やせん妄(高齢者や小児)
皮膚:発疹、発赤、かゆみ
消化器:胃痛、吐き気、食欲不振、便秘
循環器:動悸、血圧変動
泌尿器:排尿困難、尿閉
その他:倦怠感
さらに、ジフェンヒドラミンは、風邪薬や抗アレルギー薬、アルコールと一緒に服用することで、過剰な眠気や呼吸抑制といった命に関わる副作用が起こる危険性もあります。15歳未満の子どもや、高齢者、胎盤通過性があるため妊婦も使用を控えなくてはいけません[8]。また、緑内障、前立腺肥大、高血圧、心疾患を抱えている場合は、症状を悪化させる恐れもあります[9,10,11]。
市販薬は、一時的な改善をもたらしてくれるかもしれませんが、不眠の根本的な原因を解決することはできません。実際、不眠の背後にはうつ病や不安障害、睡眠時無呼吸症候群などの深刻な病気が潜んでいることがあります。市販薬で症状を隠してしまうと、受診のタイミングを逃し、症状が悪化してしまうことがあります。
不眠が続く場合、自己判断で市販薬を使うのではなく、早期に医師に相談することが、健康を守るためには最も大切な方法であると言えるでしょう。
Reference
[1] Culpepper L, Wingertzahn MA. Over-the-Counter Agents for the Treatment of Occasional Disturbed Sleep or Transient Insomnia: A Systematic Review of Efficacy and Safety. Prim Care Companion CNS Disord. 2015 Dec 31;17(6):10.4088/PCC.15r01798. doi: 10.4088/PCC.15r01798. PMID: 27057416; PMCID: PMC4805417.
[2] Glass JR, Sproule BA, Herrmann N, Busto UE. Effects of 2-week treatment with temazepam and diphenhydramine in elderly insomniacs: a randomized, placebo-controlled trial. J Clin Psychopharmacol. 2008 Apr;28(2):182-8. doi: 10.1097/JCP.0b013e31816a9e4f. PMID: 18344728.
[3] Baskett JJ, Broad JB, Wood PC, Duncan JR, Pledger MJ, English J, Arendt J. Does melatonin improve sleep in older people? A randomised crossover trial. Age Ageing. 2003 Mar;32(2):164-70. doi: 10.1093/ageing/32.2.164. PMID: 12615559.
[4] Peck JS, LeGoff DB, Ahmed I, Goebert D. Cognitive effects of exogenous melatonin administration in elderly persons: a pilot study. Am J Geriatr Psychiatry. 2004 Jul-Aug;12(4):432-6. doi: 10.1176/appi.ajgp.12.4.432. PMID: 15249281.
[5] Garzón C, Guerrero JM, Aramburu O, Guzmán T. Effect of melatonin administration on sleep, behavioral disorders and hypnotic drug discontinuation in the elderly: a randomized, double-blind, placebo-controlled study. Aging Clin Exp Res. 2009 Feb;21(1):38-42. doi: 10.1007/BF03324897. PMID: 19225268.
[6] Almond SM, Warren MJ, Shealy KM, Threatt TB, Ward ED. A Systematic Review of the Efficacy and Safety of Over-the-Counter Medications Used in Older People for the Treatment of Primary insomnia. Sr Care Pharm. 2021 Feb 1;36(2):83-92. doi: 10.4140/TCP.n.2021.83. PMID: 33509331.
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[8] Schroeck JL, Ford J, Conway EL, Kurtzhalts KE, Gee ME, Vollmer KA, Mergenhagen KA. Review of Safety and Efficacy of Sleep Medicines in Older Adults. Clin Ther. 2016 Nov;38(11):2340-2372. doi: 10.1016/j.clinthera.2016.09.010. Epub 2016 Oct 15. PMID: 27751669.
[9] Sharma A, Hamelin BA. Classic histamine H1 receptor antagonists: a critical review of their metabolic and pharmacokinetic fate from a bird’s eye view. Curr Drug Metab. 2003 Apr;4(2):105-29. doi: 10.2174/1389200033489523. PMID: 12678691.
[10] Lessard E, Yessine MA, Hamelin BA, Gauvin C, Labbé L, O’Hara G, LeBlanc J, Turgeon J. Diphenhydramine alters the disposition of venlafaxine through inhibition of CYP2D6 activity in humans. J Clin Psychopharmacol. 2001 Apr;21(2):175-84. doi: 10.1097/00004714-200104000-00009. PMID: 11270914.
[11] Sharma A, Pibarot P, Pilote S, Dumesnil JG, Arsenault M, Bélanger PM, Meibohm B, Hamelin BA. Modulation of metoprolol pharmacokinetics and hemodynamics by diphenhydramine coadministration during exercise testing in healthy premenopausal women. J Pharmacol Exp Ther. 2005 Jun;313(3):1172-81. doi: 10.1124/jpet.104.081109. Epub 2005 Feb 17. PMID: 15718288.