私たちの脳は、日中の活動によって様々な老廃物が溜まります。この老廃物の中には、アルツハイマー病の原因物質として知られるアミロイドβやタウタンパク質も含まれています。では、脳はどのようにしてこれらの老廃物を取り除いているのでしょうか?
2012年に発見された「グリンパティック系」という脳の清掃システムが、この謎を解く鍵となりました[1]。このシステムは、睡眠中—特に深い睡眠(徐波睡眠)の時に最も活発に働くことが分かっています[2]。
睡眠には、ノンレム睡眠とレム睡眠という2つの異なる状態があります。ノンレム睡眠はさらに3つの段階(N1、N2、N3)に分かれており、N3睡眠は「徐波睡眠」とも呼ばれる最も深い睡眠段階です。脳の清掃システムであるグリンパティック系が最も活発に働くのは、このN3睡眠(深い睡眠)の時であることが明らかになっています。
2025年に発表された最新の研究により、なぜ深い睡眠がこれほど重要なのか、そのメカニズムが明らかになってきました[3]。
2025年に権威ある学術誌『Cell』に発表された研究によると、深い睡眠(NREM睡眠)中、脳内では驚くべきことが起こっています[3]。
脳の深部にある青斑核という部位から、ノルエピネフリンという神経伝達物質が約50秒に1回(0.02 Hz)という規則正しいリズムで放出されます。
このノルエピネフリンの波は、脳の血管を収縮させたり拡張させたりします。この血管の動き(血管運動)が、まるでポンプのように働いて、脳脊髄液を脳の中に送り込み、老廃物を洗い流すのです[3]。研究では、この血管のポンプ作用が活発であればあるほど、グリンパティック系による老廃物の除去も活発になることが実験的に証明されました。
つまり、深い睡眠中の規則正しい脳の活動パターンこそが、脳の健康を保つために不可欠なのです。

ところが、従来から使用されてきた睡眠薬の一部は、この重要な脳の清掃システムを妨げてしまう可能性があることが分かってきました。
Cell誌の研究では、非ベンゾジアゼピン系睡眠薬であるゾルピデム(商品名:マイスリー、アンビエン)をマウスに投与する実験が行われました[3]。その結果、以下のことが明らかになりました:
• ノルエピネフリンの規則正しい振動が抑制された
• 血管の収縮・拡張のリズムが消失した
• 脳脊髄液の流入(グリンパティッククリアランス)が有意に減少した
• 脳内のノルエピネフリン濃度が約50%低下した
つまり、ゾルピデムは確かに眠りを誘いますが、深い睡眠に必要な脳の活動パターンを乱してしまい、結果として脳の清掃機能を低下させてしまうのです。

図1:ゾルピデムが脳脊髄液の流入に与える影響
左:通常の睡眠(対照群)|右:ゾルピデム投与後の睡眠
脳の断面を撮影した画像です。オレンジ色に光っている部分が、脳の中に流入した脳脊髄液の量を示しています。通常の睡眠(左)では脳全体に脳脊髄液が広く行き渡っているのに対し、ゾルピデムを投与した睡眠(右)では脳脊髄液の流入が明らかに減少していることが分かります。これは、ゾルピデムが脳の清掃システム(グリンパティック系)の働きを妨げることを示しています。
出典:Hauglund et al., Cell, 2025; Figure 6H, I
ベンゾジアゼピン系の睡眠薬(例:ブロチゾラム、トリアゾラム)も同様の問題を抱えています。2025年の総説論文によれば、ベンゾジアゼピン系およびゾルピデムは、深い睡眠(NREM徐波睡眠)の脳波活動を有意に減少させることが報告されています[4]。さらに、長期使用により海馬や扁桃体の萎縮との関連も指摘されています[4]。
一方、メラトニンは徐波睡眠の脳波活動を有意に変化させないことが同じ研究で示されており[4]、睡眠の質への影響が異なることが分かります。
では、どのような睡眠薬なら深い睡眠の質を保つことができるのでしょうか?近年、オレキシン受容体拮抗薬という新しいタイプの睡眠薬が注目されています。
レンボレキサント(商品名:デエビゴ)は、この新しいタイプの睡眠薬の一つです。2021年に発表された臨床試験では、55歳以上の不眠症患者を対象に、レンボレキサント、ゾルピデム、プラセボ(偽薬)を比較した結果、興味深い違いが見つかりました[5]:
レンボレキサントは深い睡眠を維持または増加させましたが、ゾルピデムは初日こそ深い睡眠を7.7分増加させたものの、29-30日目にはプラセボと比べて減少する傾向が見られました(ゾルピデム:-0.9分 vs プラセボ:+2.7分)[5]。
これらの結果は、オレキシン受容体拮抗薬が睡眠の自然な構造を保ちながら不眠症を改善できる可能性を示しています。
薬物療法以外にも、深い睡眠を増強する方法が研究されています。音響刺激(特定のタイミングで音を聞かせる方法)は、安全で理想的な深睡眠増強ツールとして注目されています[6]。
2021年の研究では、音響刺激により徐波活動が17.7%(1日目)、22.2%(2日目)増加し、覚醒度と注意力が改善したことが報告されています[7]。また、2020年の研究では、自動音響刺激装置が中年男性の実行機能を改善したことも示されています[8]。さらに、アルツハイマー病患者を対象とした2023年のパイロット研究でも、音響刺激の実施可能性が確認されています[9]。
このような非薬物的アプローチは、将来的に睡眠の質を改善する重要な選択肢となる可能性があります。
深い睡眠は、単に「よく眠れた」という感覚を得るだけでなく、脳の健康を維持するための重要な生理的プロセスです。深睡眠中の規則正しい脳の活動が、グリンパティック系による老廃物の除去を促進し、認知機能の維持に貢献しているのです[10]。
不眠症の治療を考える際には、「眠れるようになる」だけでなく、「質の高い深睡眠が得られるか」という観点も重要です。当院では、患者さん一人ひとりの状態に合わせて、睡眠の質を保ちながら不眠症状を改善できる治療法を提案しています。睡眠に関するお悩みがございましたら、お気軽にご相談ください。
[1] Iliff JJ, et al. A paravascular pathway facilitates CSF flow through the brain parenchyma and the clearance of interstitial solutes, including amyloid beta. Sci Transl Med. 2012;4(147):147ra111.
[2] Xie L, et al. Sleep drives metabolite clearance from the adult brain. Science. 2013;342(6156):373-377.
[3] Hauglund NL, et al. Norepinephrine-mediated slow vasomotion drives glymphatic clearance during sleep. Cell. 2025;188(4):606-622.
[4] Corbali O, Levey AI. Glymphatic system in neurological disorders and implications for brain health. Front Neurol. 2025;16:1543725.
[5] Moline M, et al. Comparison of the effect of lemborexant with placebo and zolpidem tartrate extended release on sleep architecture in older adults with insomnia disorder. J Clin Sleep Med. 2021;17(6):1167-1174.
[6] Tononi G, Cirelli C. Sleep and the price of plasticity: from synaptic and cellular homeostasis to memory consolidation and integration. Neuron. 2014;81(1):12-34.
[7] Diep C, et al. Acoustic enhancement of slow wave sleep on consecutive nights improves alertness and attention in chronically short sleepers. Sleep Med. 2021;81:69-79.
[8] Diep C, et al. Acoustic slow wave sleep enhancement via a novel, automated device improves executive function in middle-aged men. Sleep. 2020;43(1):zsz197.
[9] Van den Bulcke L, et al. Acoustic stimulation as a promising technique to enhance slow-wave sleep in Alzheimer’s disease: results of a pilot study. J Clin Sleep Med. 2023;19(12):2107-2112.
[10] Nedergaard M, Goldman SA. Glymphatic failure as a final common pathway to dementia. Science. 2020;370(6512):50-56.