体の中の(特に脳内の)鉄分が不足すると、睡眠が悪化します。ムズムズ脚症候群や悪夢、中途覚醒も起きやすくなります。このため、睡眠外来では、鉄剤の処方やサプリメントの内服を推奨することがよくあります1。鉄補充の方法として、鉄剤やサプリメントを口から飲んでいただく「経口摂取」に加えて、静脈を通じて投与する「鉄剤注射」があります。
今回の記事では、この「鉄剤注射」について必要性や安全性について説明したいと思います。
医師が「鉄剤注射」を選択する理由は、以下の2つです。
睡眠外来では、鉄欠乏のある患者さんに対して第一選択として鉄剤注射をすることはありません。
しかし、上記のように鉄剤がどうしても体に合わない場合(吐き気や便秘などの消化器症状が出る)や、体質的に鉄剤を飲んでもあまり吸収が出来ない場合、また、重度の鉄欠乏症状があり治療を急ぐ時には、「鉄剤注射」を選択することがあります。
では、「鉄剤注射」のリスクはないのでしょうか?
リスクは口から鉄剤を摂取する時には起こらない「鉄過剰(体の中に鉄がありすぎる状態)」です。通常、口から鉄を摂取した時には、体が吸収しなかった鉄は便中に排泄されます。慢性炎症があったり、大量の鉄剤を長期に漫然と使用したりしない限り、内服で鉄過剰となることはあまりありません。
しかし、血管内に直接鉄が入る「鉄剤注射」では、投与した鉄は基本的に全て体内に吸収され、余ってしまった鉄は肝臓に蓄積します。このため、肝臓に問題のある患者さんや、炎症性疾患があり体がを利用できない患者さん、既に貯蔵鉄が十分あると考えられる患者さんへ鉄分を注射して補充することは避けられます。
一方で、鉄剤が口から飲めずに困っておられる患者さんもたくさんいらっしゃいます。そのため、「鉄剤注射」には専門的知識を持った医師の判断が必要となります。
〜診察室より〜「鉄剤注射」を選択した患者さんの紹介
17歳 女性
主訴:起床困難、起床後の体調不良
現病歴:朝、起床困難があり、起きられたとしても体調が悪い(頭が痛い、おなかが痛い)ことで、学校に行けないことで当院来院。他院小児科では起立性調節障害(OD)と診断されていたが、治療の効果は十分ではなく、今は薬を内服していない。
治療経過:夜型のリズムがあり、睡眠相後退症候群と診断され、治療を行いました。治療を行い、起床困難は改善しましたが、朝の体調不良は残っており、学校に行けない日が時々ありました。親からの聴取で偏食があり、普段の食事摂取量も十分ではないことが分かりました。ご本人と親の同意のもと採血を行ったところ、フェリチン値2.1ng/mlであり、ヘモグロビン値も11.3g/dLと軽度の貧血を認めました。
まずは鉄剤の内服をお願いしましたが、内服での副作用(腹痛、下痢)があり、内服継続が困難でした。内服による副作用や早期治療の必要性からも、鉄剤注射も治療選択肢に含まれると考えられ、鉄剤注射のメリット・デメリットを説明の上で、鉄剤注射が選択されました。
食事バランスや摂取量も改善しながら、月に1回の鉄剤注射を行い、3か月後に採血を実施した所、フェリチン72.1ng/mlとなり、注射は終了となりました。1回目の注射後から普段の体調は徐々に改善し、起床後だけでなく、授業中の居眠りや手足の冷えが改善しました。
注射後も、鉄分の多い食事内容を意識して摂取するようにした上で、初診から1年後に採血を実施したところ、フェリチン76.3ng/mlと横ばいで安定していました。
初診から4か月後くらいから、学校にも問題なく行けるようになり、休み時間に居眠りすることも減り、食事摂取量も増えたようです。
Reference
参考1: フェリチン基準値についてはこちらをご覧ください。
参考2: 治療効果に関するエビデンスはこちらをご覧ください。
1965年から2013年の間に世界各国で出版された鉄剤注射の安全性を検討した論文のまとめがあります2。それによると、「鉄剤注射」と「その他の方法(鉄投与なし/プラセボ/鉄剤投与/筋肉内注射)」の間で、重篤な副作用の発生に明確な違いがないという結果でした。また、「鉄剤注射」だから鉄過剰に陥るという報告もされませんでした。
重篤な副作用 | その他の方法と比較したリスク比(95%信頼区間) |
---|---|
死亡 | 1.06 (0.81-1.39) |
重篤な副作用のいずれか | 1.04 (0.99-1.08) |
治療に関連した副作用 | 1.08 (0.96-1.21) |
投与中断を必要とした | 0.92 (0.76-1.12) |
しかし、投与時に起こった軽微な副作用を細かく見ていくと、鉄剤投与時すぐに現れる症状(血圧の変動や皮膚症状など)は、「その他の方法」と比較して、「鉄剤注射」の方がリスクが高いという結果でした。
具体的な副作用 | その他の方法と比較したリスク比(95%信頼区間) |
---|---|
消化器系副作用 | 0.55 (0.51-0.61) |
心血管系副作用 | 0.99 (0.83-1.17) |
呼吸器系副作用 | 1.14 (0.72-1.81) |
神経系副作用 | 1.35 (1.13-1.61) |
筋骨格系副作用 | 1.58 (1.15-2.17) |
皮膚症状 | 1.60 (1.05-2.45) |
体調悪化 | 1.35 (0.97-1.87) |
血栓塞栓症 | 0.92 (0.62-1.38) |
投与時即時に起こる副作用 | 2.74 (2.13-3.53) |
血圧上昇 | 2.25 (1.00-5.08) |
血圧低下 | 1.39 (1.09-1.77) |
電解質異常 | 2.45 (1.84-3.26) |
鉄剤投与の際には、副作用が発現していないか医師または看護師による観察が重要です。医師による、鉄過剰を引き起こさないような投与量の設定も必要です。
弊クリニックでは十分な専門的知識を持った医師が鉄剤投与の方法を患者さんの同意のもとで選択し、「鉄剤注射」を実施しております。「鉄剤注射」について不安に感じることがあったり、分からないことがありましたら、診察の際に医師におたずねください。